No.zakki

雑記です。方向性が固まるまで色々垂れ流します。

2017年12月12日

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最近太字フォントにグラデをかけて溢れんばかりのビッグサイズにすることが気に入っています(ただ文字で誤魔化しているだけ)

お久しぶりです。kiriです。

投稿さぼっててすみません。

 

さぼってたわけじゃないんですけど、前回の投稿から色々ありまして。

気が付けば今年も今月で終わりとのこと。

せっかくなので今年の振り返り…がブログの王道なのでしょうが、僕自身思い出したくないことも多々あれば読んでる人が嫌になりそうなものもあるのでやめておきます。

春の研修で泣いた話とかいらんでしょ。笑

 

今回は欲求について思ったことを。

 

欲求とは、というより人間の根っこは、と言った方が正しいかもしれません。

 

これを考えていたのは多分今年の夏くらいのことで、もっと掘り下げれば「なぜ生きるか」にまで行き着いていた気がします。

(何分何か月も前に考えていたことなのでどこまで掘り下げたかははっきり覚えていません。メモしておけばよかった)

 

元はと言えば、(自分以外の)他の人間が生きている理由を知りたかったんです。

 

正直、人が生きている上ですることなんて基本部分は皆さして変わらないです。

食べて、寝て、起きて、食べて、寝る。

この繰り返し。

それでも人が生きんとする理由は何か?いやそこから少し外れて、生きている人間の原動力は何か?何が人を生かしているのか?

 

人間として強い生き物である者に共通するものは何か?

 

一つの物事に言葉を尽くそうとするのは僕のいいところでもあり悪いところでもあると思っているのですが、続けさせてください。

いろんな見方を示し続けて申し訳ないんですが、人として「生きている」者の行動力の源泉というか、とにかく生きる意思が薄弱な(少なくとも当時の)自分とそうでない者との決定的な違いを見出そうとしていました。

 

そこで僕が見つけた答えの一つが「欲求」でした。

欲求といっても、「あれが欲しいこれが欲しい」といった物欲はあまり想定していません。

どちらかというと自己実現欲求に近いかも。

 

(本人がそう自認しているか如何に関わらず)生きる意思の強い人の根底にあるものは、将来的、先々に、「あれを達成したい」「これを叶えたい」という線を無意識か意識してか引いているなあ、と思ったんです。

しかも、その「あれ」「これ」は具体的な形を伴っていない場合も多ければ、そもそもそこまで自分で意識していない場合も多い(これについては「死にたい」と欠片も思っていない以上当たり前だけど)。

 

大多数の人には何を当たり前のことを、と言われるでしょうけど、この「欲求」があるかないかで生きる意思の強さが変われば、それに伴ってその実現が周囲に影響を及ぼしたり、また実現過程において他者を大きく巻き込んだりする時点でも彼らに影響を及ぼしたりするわけで、「生きている」者の強みだと思ったんです。

それに欠けている人間は周りとそもそも関わらないし、相互に影響を与え合うこともないし、刺激されるべき欲求は刺激されないし、そりゃ薄弱になるよなぁって(卵が先か鶏が先かの突き詰めは置いておかせてください)。

 

「誰だって何のために生まれてきたかなど決まっていない」みたいな言葉がよくありますけど、その目的を設定できるだけ(と言うと大げさですけど)の「欲求」が根幹にあるかないかが明確な分かれ目かな、と。

そんなことを考えていました。

 

ここまで書いておきながら話をうまく結べなくて申し訳ない。

繰り返しですが、この話を真面目に考えていたのが2シーズンも前なもので。

 

ただ、これにプラスな意味の言い訳をさせてもらうと、これを考えていたのは数ヶ月も前です。

今の僕はどうなの、という話には「7~8割」と評価したいです。

 

語弊がないよう、他の人には「元に戻るまで」という表現を使ってますが、厳密には違う形で7~8割。

あとちょっと、と思いつつ、油断すべきでないラインを保つことを意識しなきゃなあと思ってます。

それでもそこまで持って行った自分を褒めてあげるべきなのかもしれないですね。

(なんか結局今年のまとめみたいになっちゃいましたけど)

 

考えてることの言語化って難しいね!

大抵頭の中で言葉にせず感覚で処理して自己完結しちゃうことも多いから尚更ね!

 

ひとまず自分が考えていたことの一つをこうして記録の形で残せたということで。

あ、先のことは考えていません。まだ考えたくないかな(というより具体的な形を持たせるのが難しい)。

 

それではまた!

 

P.S. 飲みに行きたいです。