No.zakki

雑記です。方向性が固まるまで色々垂れ流します。

スマホから

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どうもご無沙汰してます。kiriです。

2018年も終わりということで、最後に一つ投稿を。

 

 

初めてスマホから書いてるんですが、やっぱりPCからの方がやりやすいですね。

スマホがPCに取って代わる、なんて言われて早数年が経ちましたが、僕はずっと否定派です。

そもそもそんなことを言っていた人は、元々PCをあまり使わない人だったんじゃないかな、と。

PCに代替する可能性があるとすればタブレットくらい。それでもノートPCとタブレットの境目がわからなくなるけど。

 

 

さて、半年前に「地域に根差すなんて宣う組織は滅ぶ」なんて話を7月中に書くと言いつつ書いてなかったので、今回はそれを書こう…と思ったのですが、どうも文に書き起こすには小難しい上に伝わりにくい。そして公開記事としてはあまりにも個人的な情報が多過ぎる。

というわけで、さらっと書いて、細かいことは直接人に会った時に話そうかと思います。むしろこれについては人の意見が聞きたいなと思ってます。

 

 

簡単に言うと、「衣食住」の「住」は「衣食」に比べて人々の保守意識が強く、発展を見込むのが難しい、ということです。

保守的な「住」に携わる事業はどうしてもハードの部分が多くを占めるため、ソフトの占める割合の多い「衣食」に比べて硬直的で進歩が遅い上、そもそも進歩を目指す姿勢を示すことすら憚られやすいんじゃないかな、と思ったんです。

おしまい。

 

 

本題が終わったので、ここからは一年を真面目な話とそうじゃない話で非真面目に振り返ります。

僕自身が秘密主義なので書かない(書けない)ことも多分にあるかと思いますが、そこそこに頑張って書いてみたいと思います。

あくまでサクッとね。

 

 

【真面目編】

 

●1月…記憶にあまりない。新しく引き継ぎがされ、仕事が忙しかった。

●2月…応用情報技術者試験をかじる。趣味の程度なので、試験を受けるつもりもガチでやる気もさらさらなく、ほんとにさらっと終わる。

●3月…本をたくさん買えた。しかし冊数が多過ぎたのと分野が多岐に渡ったため、読む体力がもたず未だに読めていないものもある。

●4月…残業が多かった。しかしおかげで自身と職場の改善可能性に気付きトライ。効率がよくなって笑顔。

●5月…4月の努力の甲斐あり、仕事が増えたにも関わらず元のペースに戻せた。それ以外の記憶がない。

●6月…技術職というか専門知識と呼ばれるものに興味を持ち始める。今の職場でも専門知識は得られるが、専門業務と専門知識は必ずしも一致しないしなあと考える。

●7月…pythonに手を出す。初心者におすすめとネットの情報を鵜呑みにした。確かに初心者向けだったが、かなり深い階層まで降りようとすると別の専門知識がいることに気付く。

●8月…python継続。別の専門知識を独学で齧りつつやるが、少しずつ限界を感じ始める。これ院行かなあかんのちゃう?

●9月…pythonを一通り終え、機械学習へ。またしても別の専門知識の壁に当たる。結構苦戦した。

●10月…ひとまず話だけでも聞こうかと某エージェントを通して面接や面談に赴いてみる。いいルートを通してくれたところもあったが、進んでいくにつれ自分が本当にしたいこととこれからのキャリアの不一致が見えてきた。そもそもキャリアなんてどうでもと考えている人間。辞退。

●11月…元々低い心のエネルギーが空っぽになる。仕事も虚ろになることが多くなってきたため、ひとまず考えるのをやめようと思い、普段の仕事以外は休息に努める。

●12月…月日が経つ早さに驚く。引き続き休息は継続しながら、エネルギーの充填を待つ。しかし季節柄もあり、なかなかすぐに元通りとはいかない。まあ休職してるわけじゃないし、ストレスたまる忘年会も多いし。自分にとって最も幸せに生きられる"わがままな生き方"を模索し始める。

 

 

いざ書こうと思ったらあんまり思いつきませんでした。

というか前半の記憶が遠いこともあり、呼び起こすのが困難。はっきりしてるのはせいぜい7月くらいからだ。

 

 

【真面目じゃない編】

主に1人の余暇時に何をしてたか。

 

●1月…覚えてない。多分シャドバしてた。

●2月…ヨドバシのポイントの期限通知が来たので、とりあえずヨドバシへ行ってみる。ゲームコーナーでベヨネッタ2を発見。スマブラforで知り、興味があったのでポイントで購入。ハマる。

●3月…多分ベヨネッタとシャドバしてた。友達に誘われてFGOをインストール。しかしポチポチゲーは苦手だなあと感じ、1週間で放置。

●4月…覚えてない。多分シャドバしてた。

●5月…シャドバで30日になってグラマスになることを決意。この時MP5000。31日の最終日だけでよくエルフで残りの5000盛ったと思う。徹夜で挑み、MPリセットの15分前に到達。その日の仕事はきつかった。二度とグラマスなんて目指さないと誓った。

●6月…覚えてない。多分シャドバしてたはず。元々ガチ勢という程ではなかったが、この頃から一層ゆるゆる勢になる。

●7月…周りからよく誘われていたスプラ2を遂に購入。既に年末にスマブラが発売されることが発表されていたため、スマブラまでの繋ぎになればいいなあ程度の気持ちだった。誤算だった。

●8月…勉強とスプラで結構充実し忙しい日々を過ごした。あ、これ真面目じゃない編だったわ今のなし。シューティングゲーは苦手だと思っていたし実際苦手だったが下手の横好きでハマる。

●9月…スプラしてたはず。シャドバは新弾の開闢に惚れ込みルムマで楽しむ。勝てないが楽しい。

●10月…スプラしてたはず。しかしA帯をなかなか抜けられず苦戦。それでも飽きない。

●11月…初めてS帯へ。そこそこ嬉しかったはず。記憶が定かじゃないのは多分心身が疲れていたからだと思う。下旬の三連休には京都で開催されたNintendo Liveへ行った。スプラ甲子園を観覧し、会場の熱気に晒されちゃっかりグッズを買って帰った。どうでもいいが、当日の任天堂公式アカウントのツイートに自分が写り込んでいた。帰りは寄りたかった飲食店が僕が着く直前で品切れになったため、泣く泣く長浜ラーメンを食べた。

●12月…たまたま起動したFGOで強鯖が引けてしまい、真面目にやり始めることに。そこから割と豪運連発した。スマブラが発売され、当日は有給を取って遊んだ。全キャラ解放までやったが、スプラ熱も継続していたため、パーティゲーであるスマブラは優先度が次点になってしまった。スマブラは1人でやるより友達と遊ぶのが楽しい。スプラはギア開けのために普段使わないブキでナワバリによく潜るようになる。スクスロベッチュー楽しい。

 

 

自分が好きなこととか何して遊んで楽しいとか、そういうプライベートなことを書くのは珍しいかなと我ながら思いつつダラダラまとめました。

ゲームの内容知らん人には全く伝わらなくて申し訳ないけど。夏頃に自分の趣味がゲームなんだということに気付いたので、どうしてもそれが中心になってしまった。

でも好きなことがあるのと、好きなことをちゃんと出来てることって大事だし素敵ですよね?

 

 

正直一年の締めくくりって苦手です。

真面目なことは考えたその場で理論を展開するのは抵抗ないしむしろ好きだけど、「これから」を意識させられるようなことは相変わらず嫌いなんだなあと感じました。

だから来年どうこうなんてことも書きません。今後どうしたいかなんて一時だけの気持ちかもしれないし、それにずっと左右されたり縛られたりするような生き方はあまり好みじゃないのかなーと、最近考えてます。

 

だから来年もみなさん好きに生きていきましょう!とだけ言いたい!

自分の人生やで!

 

大していい話ができず申し訳ないですが、ここで書き納め。

今年2回しか書いてないやろとかいうツッコミはいらない。

 

良いお年を〜。

 

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自分が自分を大事にしてあげなくなったら終わり

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私事ですがPCを買いました。

 

今のPCは6年目の終わりを迎えようとしていて、春に7年目に突入する予定でした。

今でも異音なく動くっちゃ動くんですが、ノートなことを考えるともうすぐ寿命だろうなと。

 

じゃHDDだけ換えればええやん?って話なんですけど、SSDに換えるのにも2万近くするんですよね、512GBで。

HDD以外にもイヤホンジャックも死に絶えつつあるし、メモリ増設しても各種ファイルはよく応答がなくなるので、じゃあいっそIllustratorが満足に動くことも期待してPCごと買い替えてしまおう!と。

 

今じゃ毎日使う訳でもないのでかなーり迷ったのですが、身内からも「kiriはお金を使わなさすぎ。この一年頑張ったんだし自分にそれくらい買ってあげてもいいじゃない」と言われたのが後押しになって買いました。

ぶっちゃけ買い替えることを思いついてから実際に買うまで1日しかかからなかったんですけどね(この前週まで1000円の鍋を買うかどうかで一週間迷い続けていたのはまた別の話)。

 

手元に届くのが楽しみです。

 

 

そう、「自分にそれくらい買ってあげても」。

僕は今月、またひとつ歳をとりました。

 

大体の人はそうだと思うんですが、誕生日を迎えて歳をとったって感覚はあまりないですよね。

ぼくは1年前から4年前くらいまでの記憶が殆どないので、特にそうだと(自分で)思ってます。

正直、まだ4年前の年齢だと言われても素直に信じてしまうレベルに。

 

 

誕生日を迎える前だったかいつだったか、誰かから聞いたのか自分で自然と思いついたことなのか。

 

「自分が自分を大事にしてあげなくなったら終わり」

 

こんな言葉が気付いたら僕の頭の中にありました。

 

こんなことを書いていたらまた自分で自分を追いつめてしまう気もしなくはないのですが、実際のところこれは真理なんだろうなと。

多分、突き詰めると「自分を許してあげる自分の存在を、自分の中に置くことを認めてあげる」ことのような気がします。

 

大多数の人間にはどうでもいいことだし、そんなことを意識したり考えたりしている人間の方が少数派だし、もっと言えば多数派の人間にとってはこんな話はされたら疎まれるものだと思う。

でもブログは平気な顔してつらつら書けるからいいよね。独り言だし。

 

最近、友達がこんなことをSNSで呟いていて。

「鬱の人ってなんでこんな暗い思考なんやろ。一生わからんと思ってた。」

数か月前に鬱と診断されたその子はこのブログを知らないから見ることはないけれど、きっとこれに近いものに悩まされていることは想像に難くない。

 

ただ僕は、健常な人(あえてこういう表記をします)がそうでない人を理解するのは難しいし、本音を言えば面倒くさいのだろうということも分かる。だって彼らはそんなことそもそも考えもしねえし聞いても分かんねえんだもん。

 

健常でない大半の人はそんなことまでも分かってる。

だから話さないし、仮に話しても健常な人が想像できる範疇のものを想像しやすい言葉で伝える。でもそれじゃ全然伝わってない。結局理解されない。

でも理解されたいという気持ちは絶対に持ってる。だって彼らが抱える問題は孤独感が前提にあるのだから。

 

かと言っても僕は、健常な人たちから歩み寄れとも言えない。

彼らは彼らの人生と毎日があるわけで、そこに挟める他人の枠は一握りで、そこにわざわざ恋人や身内でもない人を入れたりしない。

挟み込めば途端に時間と体力が持っていかれる。分からないことに費やすそれらは半端な量ではない。

とれる選択肢は二つ。適当に濁して距離を置く(距離を置いた付き合い方をする)か、すっぱり縁を切るか。

 

実体験で言えば、前者が多かったかな。

寂しいけど仕方ないよね。でもやっぱり会うたびにその事実が頭の中でちらつくのは個人的にしんどい。逆恨みでもなんでもないことは申し添えたいけど。

 

もちろん、この二択をとらずに枠を割いてくれた人もいたけれど。それは希少な救いだと思う。

 

果たして、そこまで分かっていて僕は、周りの健常でない人の数が片手を越えそうになっている今、彼らに対しどんな選択肢をとろうとしている(とっている)のかな、と思った次第です。

自分が今どの辺にカテゴライズされるのかは断言できないけど、周囲の目に「健常な人」と映っている今、彼らからどんな期待をかけられ、彼らにとってどう接しようとしているのか、一度自分を見つめ直さなきゃいけないと思った2月でした。

 

相変わらずまとまりなくてすんません。

ここまで読んでくれて感謝です。もし読んでくれてる人がいたら本当に感謝したい。

今回割と頭の中をフィルターを通しつつもそれなりに広げた気がするので。

醜かっただろうにありがとうございます。

 

ではでは~。

 

 

 

2017年12月12日

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最近太字フォントにグラデをかけて溢れんばかりのビッグサイズにすることが気に入っています(ただ文字で誤魔化しているだけ)

お久しぶりです。kiriです。

投稿さぼっててすみません。

 

さぼってたわけじゃないんですけど、前回の投稿から色々ありまして。

気が付けば今年も今月で終わりとのこと。

せっかくなので今年の振り返り…がブログの王道なのでしょうが、僕自身思い出したくないことも多々あれば読んでる人が嫌になりそうなものもあるのでやめておきます。

春の研修で泣いた話とかいらんでしょ。笑

 

今回は欲求について思ったことを。

 

欲求とは、というより人間の根っこは、と言った方が正しいかもしれません。

 

これを考えていたのは多分今年の夏くらいのことで、もっと掘り下げれば「なぜ生きるか」にまで行き着いていた気がします。

(何分何か月も前に考えていたことなのでどこまで掘り下げたかははっきり覚えていません。メモしておけばよかった)

 

元はと言えば、(自分以外の)他の人間が生きている理由を知りたかったんです。

 

正直、人が生きている上ですることなんて基本部分は皆さして変わらないです。

食べて、寝て、起きて、食べて、寝る。

この繰り返し。

それでも人が生きんとする理由は何か?いやそこから少し外れて、生きている人間の原動力は何か?何が人を生かしているのか?

 

人間として強い生き物である者に共通するものは何か?

 

一つの物事に言葉を尽くそうとするのは僕のいいところでもあり悪いところでもあると思っているのですが、続けさせてください。

いろんな見方を示し続けて申し訳ないんですが、人として「生きている」者の行動力の源泉というか、とにかく生きる意思が薄弱な(少なくとも当時の)自分とそうでない者との決定的な違いを見出そうとしていました。

 

そこで僕が見つけた答えの一つが「欲求」でした。

欲求といっても、「あれが欲しいこれが欲しい」といった物欲はあまり想定していません。

どちらかというと自己実現欲求に近いかも。

 

(本人がそう自認しているか如何に関わらず)生きる意思の強い人の根底にあるものは、将来的、先々に、「あれを達成したい」「これを叶えたい」という線を無意識か意識してか引いているなあ、と思ったんです。

しかも、その「あれ」「これ」は具体的な形を伴っていない場合も多ければ、そもそもそこまで自分で意識していない場合も多い(これについては「死にたい」と欠片も思っていない以上当たり前だけど)。

 

大多数の人には何を当たり前のことを、と言われるでしょうけど、この「欲求」があるかないかで生きる意思の強さが変われば、それに伴ってその実現が周囲に影響を及ぼしたり、また実現過程において他者を大きく巻き込んだりする時点でも彼らに影響を及ぼしたりするわけで、「生きている」者の強みだと思ったんです。

それに欠けている人間は周りとそもそも関わらないし、相互に影響を与え合うこともないし、刺激されるべき欲求は刺激されないし、そりゃ薄弱になるよなぁって(卵が先か鶏が先かの突き詰めは置いておかせてください)。

 

「誰だって何のために生まれてきたかなど決まっていない」みたいな言葉がよくありますけど、その目的を設定できるだけ(と言うと大げさですけど)の「欲求」が根幹にあるかないかが明確な分かれ目かな、と。

そんなことを考えていました。

 

ここまで書いておきながら話をうまく結べなくて申し訳ない。

繰り返しですが、この話を真面目に考えていたのが2シーズンも前なもので。

 

ただ、これにプラスな意味の言い訳をさせてもらうと、これを考えていたのは数ヶ月も前です。

今の僕はどうなの、という話には「7~8割」と評価したいです。

 

語弊がないよう、他の人には「元に戻るまで」という表現を使ってますが、厳密には違う形で7~8割。

あとちょっと、と思いつつ、油断すべきでないラインを保つことを意識しなきゃなあと思ってます。

それでもそこまで持って行った自分を褒めてあげるべきなのかもしれないですね。

(なんか結局今年のまとめみたいになっちゃいましたけど)

 

考えてることの言語化って難しいね!

大抵頭の中で言葉にせず感覚で処理して自己完結しちゃうことも多いから尚更ね!

 

ひとまず自分が考えていたことの一つをこうして記録の形で残せたということで。

あ、先のことは考えていません。まだ考えたくないかな(というより具体的な形を持たせるのが難しい)。

 

それではまた!

 

P.S. 飲みに行きたいです。

 

ブレーキングタイム

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昨年岡山で撮影した落葉。お気に入りの1枚です。

アイキャッチに適当な画像が見つからなかったので誤魔化しました。


ご無沙汰してます。

今日は所謂華金ですが、麻雀に誘ってくれていた同期が(進行形で)残業しているのでお流れになり、予定が空いたため家にいるkiriです。

 

ふと「ブログ更新してないね」と言われたことを思い出し、「あれ?最近書いたんだけど」と、はてなを開いたところ納得しました。

 

先月末に酔っぱらって書いたものが下書きに残ってました。

書きかけで。

 

おかげで2ヶ月ぶりの更新になりました。申し訳ない。

続きを書いて投稿しちゃおうかとも思ったんですが、何分酔っぱらって書いていたもので話が滅茶苦茶なので、きちんと整理してからにします。

 

というか、「最近」とか言いながら保存日時がひと月前になっていることにビビった。

時間が経つのが早くて意識が追い付いていないのですが、その辺も含めて近々話したいなと思います。

 

今日は告知をひとつ。

このブログ用にTwitterアカウントを開設しました。

 

twitter.com

プロフィールにも簡単に書いてますけど、ブログに話としてまとめずともポロッと書けることも普段から結構多いなと感じたので、そういうことはTwitterに投稿するのが適してるかなと。

前の投稿でも気軽に書く宣言はしたんですが、書くからには話としてまとめることが最低限守るべきラインかなとも思うので。

でもこういうところが頭固いんだろうな笑

 

kirinozakki.hatenablog.jp

Twitterはフォローしちゃうとご自分のフォロワーにも「うわこいつこんなアカウントフォローしてやがる」とバレちゃうのでお気を付けを。

リストやプッシュ通知をオススメします。

 

というのは建前でほんとは垢バレしたくないからなんですけどね!

いろんな人に見てもらいたいけど知ってる人には見られたくないジレンマ。Twitterアカウントを持っている人なら分かりませんか?

 

というわけで今回はこのへんで。

それでは~。

隙は作るべき

ご無沙汰してます。

kiriです。

 

前回の投稿から一ヶ月弱も空いてしまいました。

ぽつぽつ書いてみたいことは出てきてたのですが、いざアイデアを出してみると展開する話の理論武装をしっかりしないと、と考えてしまいまして。

 

これだけじゃまだ考えられる根拠として足りないのでは?

もっとしっかりした論理展開でないとただの突っ込みどころ満載な話になるのでは?

etc...

 

こんなことを考えているうちにまた一つ話の種(寄り道)ができました。

 

「そもそも論文でもないのになんでそんなにしっかりした話せなあかんねん!!」

 

何せzakkiなんでね。

今もお酒片手に打ってます。

どうでもいいですけどアルコール依存症の人は一人酒が多いらしいですね。

 

  • 誰もが納得してしまう話の需要は小さい

 

どうも自分が今使っているデザインだとデフォルトの見出しが使えないそうです。

見出しとわかりにくくてすみません。

 

本題。

よく話にオチがあるって言うじゃないですか。

オチってのは所謂”笑えるところ”です。

その話のどんでん返しな結末だったり、緩急をつけて一気に緊張を解きにくるものだったり。

 

あれは話の序盤~中盤に対して、聞き手が暗黙のうちに「期待していること」の代弁だと僕は思ってます。

その暗黙のうちに期待しているか否かを、聞き手が自覚しているかどうかは問題ではないです。だってオチで笑うのって自分が予想してなかった(期待していたと自覚していなかった)展開の時もあるでしょ。

 

代弁、つまりはツッコミ。

オチをつけるまで話し手一人がやることも多々あるどころか漫才以外の場では大抵そうですが、聞き手も話を聞きながら心の中で今か今かとツッコもうとしているわけで。

んで最後にオチが来るから、話を展開する方も受け取る方も互いに満足感(「やっぱりせやったか~!」「そんなんあるん!?」)を得て、きれいに話が終わる。

 

でもオチがない話ってのは、最後に期待される話の展開までの筋道が一本道。

つまり「そういう結末を迎えても何ら不思議はない」ものであって、どんでん返しどころか緩急すら感じられない話。

そこにツッコミを構えて話を聞き続けることのできない聞き手が退屈を覚えるのは必至だし、そんなものは当然誰も満足しない。誰も得をしない。

 

「オチが期待することの代弁なら、聞き手の予想通りの結末ってオチでもなんでもなくない?」というツッコミが入りそうなので先に考えを言わせてもらうと、そういった場合のオチは大抵話し手の言葉選びやタイミングに工夫があったり、空気を掴んだ話し方をしていることが多いと思うので別物かなと。

勿論「誰が」「誰に」言うかも大事なポイントだと思う。いつも面白くないと評される人間には理不尽に感じられますけどね。

 

話が長くなりましたけど、一本道で、その結末に簡単に納得できてしまうような、ある種完璧な話は需要が小さいな、と。

明確な根拠を示して新しいことを世に知らしめる論文以外で、そんな話は多くの場合喜ばれないです。記憶にも残ってくれない。

 

  • そしてブログは

 

論文じゃないんで!!

持論いっぱい書いてもいいじゃない。

 

というか人に娯楽目的で(?)読んでもらうものでしか(現状)ない以上、あまりに完璧な論理展開は引かれます。

むしろツッコミどころを用意するくらいの話の方がコミュニケーションツールとしても有効になると思いませんか?

 

昔見た話で、「ネットでは素直に『教えて下さい><』と書いても教えてもらえない。ドヤ顔で『~は××である』と間違った知識を書き込んだ方が正しい指摘がたくさんくる」みたいなネタがあった気がしますがまさにその通りじゃないですかね。

ある意味楽に適当に書いた方がお互いのためです。

 

  • そして僕は

 

じっくり一人で考えてアホみたいでしたね。

ブログなんで雑に考えて問題なかった。

 

そしてこの辺の話もひっくるめて、もう自分の考え吐き出すつもりで全部いろいろ投げ込もうかと思ってます。

 

だって現実で本音ぶちまけられる環境ってそうそうないですよ。

身内にすら話せないこと滅茶苦茶たくさんあるのにネットでまでいい顔してられないですよ。

美醜気にしてたら結局誰にも話せず一人でふさぎ込んで考え込んで結論出ず~みたいな結末しかないですし。

 

正直醜くなるとは思いますが、読んでいただける人に読んでいただけたら僕はそれでいいです。

自分の考え方がマイノリティだってことは自覚してるので。

 

では最後に次回予告だけ。

 

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何故食べ物の好き嫌いだけは許されないのか?

 

ではでは~。

ブログ、はじめました。

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はじめまして。

kiri(きり)と申します。

 

この度「No.zakki(なんばーざっき)」という名前のブログを開設いたしました。

ご挨拶ということで最初の投稿をば。

 

ここ「No.zakki」では自分自身が日々感じていることや考えたこと、関心事をつらつら書いていきます。文字通り雑記です。

 

具体的にどんなことを書くかなんてまだ決まってません。

というのもブログ自体初めてなもので、、

 

「kiriが考えていることを表現する場としてブログはいいんじゃないか」との言葉を友人からいただき、開設にいたったわけですが、何分「考えていること」のジャンル分けがざっくりしすぎている(のは誰しも当たり前のことなのですが)。

 

自分がこのブログを通して発信したりまとめたりしたいことの正体もはっきり掴めないので、「zakki」というタイトルでぼかす形をとらせていただきます。

 

書いていくうちに内容の方向性が定まってきたり絞られてきたりすると思うので、とりあえずは思いつくことから書いていこうかな、と。

追々自分自身のことも交えながら話を展開できたらいいな、くらいのスタンスで。

真面目なことも不真面目なことも。

あまり義務感を持たずに気軽にやっていくつもりです。

 

というわけで、内容次第じゃ敬体常体もふらふらしそうなほどこれからどんなことを書くのか自分自身も分かってないブログですが、ふらっと立ち寄ってふんふん言っていただける程度のブログの体裁は持てるようになりたい所存です…!

ブログの編集というか見出し等加工したりの魅せる技術も完全素人の身ですがぼちぼち学んでいきます成長を見守ってください。

 

では改めまして、よろしくお願いします~。